高光織物の工房紹介

機どころ桐生の
織物工場。

ガシャン、ガシャンと規則正しいリズムが響く高光織物の工房。
大正2年からジャガード機がこの音をたてて伝統を紡いできた。
といっても、数十名の職人が働いていた工房の賑わいは昔のこと。
いま、高光織物では絹織物、着物の可能性を広げる新たな取り組みが始まっている。

絹の街 桐生

群馬県は絹の生産で知られていますが、なかでも桐生は西の西陣、東の桐生と称され、古来、絹織物を生産していました。
すでに奈良時代、1300年前から養蚕が行われ、絹織物が作られていたことが分かっています。文献にでてくるのは平安時代初期に勅撰で編纂された『続日本紀』(797年完成)。この地方から税として朝廷に“あし絹”が納められたと記録されています。
また、1600年の関ヶ原の戦いでは、徳川家康の要請により、旗絹を1日で2410疋
も織り出したという逸話があり、量産体制が確立されていたことをうかがわせます。
こうした伝統は連綿と続き、現在も市内では企画、デザイン、撚糸、染め、織、編み、縫製、刺繡など、繊維に関する産業に従事する企業が点在しています。

伝統の建物 熟練の手業から新しい風

「桐生は日本の機どころ」といわれていますが、それを示す街並みがのこぎり屋根の工場群。市内でも伝統的建物群として保存されていますが、高光織物の工房も同様の建築方式です。
特徴的なのこぎり屋根は一定方向の窓を設置するための合理的な形状。光量を一定にするためと糸や織途中の織物が日光によって変色しないための工夫です。高光織物の工房は建て増しをしていますが、太い梁や随所にみられる太い柱に工房にかける熱い想いがあふれています。
また、ジャガード機の設置場所の基礎は石。荷重を受ける場所を補強している先人の工夫です。その工房で機を織るのはいずれもベテラン職人。60年間織り続けている人もいます。糸の材質、温度、湿度、天候などによって、糸の張り具合や摩擦の度合いが変わるので、苦労は絶えませんが、地道な作業をしっかりと。お客様の笑顔を思いながら、時代にふさわしい織を生み出していきます。

絹の町でひたむきに ものづくりを続ける。

境野工場

桐生市境野町にある高光織物の工場。主に裂織を製作しております。

広沢工場

桐生市広沢町にある高光織物の工場。和紙織をメインに製作いたしております。

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現在は、コロウイルス感染症拡大防止対策のため、工場見学は中止しております。